- TOSPA旗の雑学 暖簾(のれん)は元々は江戸時代のお店の防寒用幕だった?暖簾の由来と歴史とトリビア
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2024.02.01 Thursday
JUGEMテーマ:日記+情報
トスパ の小林です。今日は暖簾(のれん)に関する雑学。
由来、歴史、トリビア豆知識をご紹介いたします。
街の和風のお店の軒先につるされている「暖簾(のれん)」は旗の1種であり看板の役割ですが、どことなく大量生産された物とは違う雰囲気がありますね。
職人により染め上げられる「暖簾」には工芸品的な香りが残っているように私は感じます。
その店の風格、伝統、雰囲気に見合ったデザインでお店の顔になっています。
やはり金属的な看板とは違った趣があります。
暖簾は江戸時代は防寒対策
元々は「暖簾」は文字で示される通り、防寒のために商家や旧家の中玄関の懸けられた垂れ幕を指したそうです。
自動ドアなんてない時代ですから大きな「暖簾」があるだけで
風をさえぎり防寒効果があったのだと思います。
現代はさすがに防寒用途はないかもしれません。
ただ,その名残か日本料理店など和風のお店では「日除け暖簾」と呼ばれる
商号を染め抜いた大きな垂れ幕を店先に見ることあります。
暖簾は渋い色が多い
暖簾の色彩については、藍色、濃茶色等の暗色系が多く用いられます。お店の重厚感、風格のシンボルですから、あまり派手な色は好まれないようです。
また素材も、天然繊維の木綿や麻が好まれます。暖簾に関しては化学繊維は少ないです。
化学繊維の持つ爽やか感、軽量感が「暖簾」の持つ風格、品格、重厚といった
日本人の好む感覚にそぐわないのかもしれません。
お店の顔の役割
歴史的には上述のように元々は防寒用であったようですが、
徐々に商店の軒先に吊るし屋号などを染め抜き、
お店の顔、看板の役割で使われることが多くなっていったようです。
余談ですが「暖簾が古い」といえば老舗としての信用を意味し、
また「暖簾分け」といえば年季を果たした者に屋号を分け独立させる事を言い、
本店から営業権を分けて開店したことを意味しました。
江戸時代の技法「防染」は現代でも受け継がれている
屋号の染め抜きは江戸時代初期の寛永(1620年)ごろから普及したと伝わっています。
暖簾を染色する技法「防染」は江戸時代に屋号の染め抜きのために発達したと言われています。
この「防染」という染め方は令和の現代でも熟練した職人に受け継がれています。
「防染」で染め上げた暖簾は、現代の最新技術のデジタル方式の染色方法では
とても出せない深みと味わいのある色に仕上がります。
現代では防染で染めて誂えた暖簾は高級品です。
暖簾の場合はオーダーメイドというより、「誂える」という言葉が
しっくりくるように私は感じます。
暖簾にまつわる雑学でした。
♯暖簾 ♯のれん
- Comment
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- 藍色、焦げ茶色等の暗色系が多く用いられます。お店の重厚感、風格のシンボルですから、あまり派手な色は好まれません。
・・・なるほどです^^。 - のれん旅人, 2013/09/15 4:08 PM
- 藍色、焦げ茶色等の暗色系が多く用いられます。お店の重厚感、風格のシンボルですから、あまり派手な色は好まれません。